東京高等裁判所 昭和42年(ネ)607号 判決 1968年3月13日
控訴人 嶋崎喜一
右訴訟代理人弁護士 平原謙吉
同 平原昭亮
被控訴人 篠田保子
右訴訟代理人弁護士 別府祐六
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
東京地方裁判所八王子支部が同庁昭和四十一年(モ)第六七三号強制執行停止命令申立事件につき昭和四十一年五月三十日になした強制執行停止決定を取り消す。
この判決は前項に限り仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一 (本件執行行為) 控訴人が、昭和四十一年五月二十三日、訴外呉享録に対する被控訴人主張の債務名義に基づいて、被控訴人が内縁の夫である右訴外人と同棲居住している本件建物につき明渡しの強制執行をなしたことは、当事者間に争いがない。
二 (異議事由の存否)被控訴人は、本件建物は、昭和三十一年七月、被控訴人が前所有者関口好一から賃借して世帯主として居住し、これを独立して占有するものであって、訴外呉享録は、その間被控訴人の内縁の夫として入居同棲するにいたった者にすぎず、独立した占有を有する者ではないと主張し、被控訴人が訴外呉享録の内縁の妻とし本件建物に同棲居住していることは、当事者間に争いのないところである。しかしながら、被控訴人が本件建物を訴外関口好一から賃借したとの点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。もっとも、≪証拠省略≫によると、被控訴人は昭和三十一年ごろ勤め先である飲食店の経営者曹鶴竜の妻から当時の内縁の夫金竜錫とともに本件建物に入居を許されてこれを使用するにいたったものであり、その後金が朝鮮に帰国して帰来する見込がなくなった後は自ら屑物商を営んで生計を立てていたことが認められるから、被控訴人はその後昭和三十三年呉享録と事実上の夫婦となって同棲するにいたったとしても(この事実は右の各証拠上明らかである)、本件建物の占有者は被控訴人であって呉享録ではないとも見られないこともなさそうである。そして、右の証言供述はすべて曹鶴竜が関口好一から本件建物を賃借し、これを被控訴人に転貸したものと供述している。しかし、右の証言、供述からは必ずしもその転貸関係が明確であるとはいいがたい。まず、被控訴人は本訴の請求原因として本件建物を関口好一から賃借したと主張したが、被控訴人本人の原審および当審における供述としては昌本のおばさんから借りたものと述べ、しかも、賃料についても一ヶ月千百円(原審)または千円ぐらい(当審)と供述してそのいうことに確実性がない。自ら転貸借契約をしてその貸主も賃料も確知しないということは、普通は考えられないことであろう。また、これを貸主側についてみても、原審証人昌本新吉は当初本件建物を被控訴人が関口から賃借したと供述しながら、その後同証人の父曹鶴竜が関口から賃借した本件建物を被控訴人に転貸したとその供述を訂正し、転貸料についてもたしか一ヶ月千百円だと思うと漠然たる証言をしている。なお、同証人は被控訴人から支払を受けた転貸料は賃料と一括して関口に支払っていたが、昭和三十一年ごろから関口の申出によりその支払を停止していると供述するけれども、≪証拠省略≫によれば、控訴人から曹鶴竜および呉享録に対する同人らの居住する本件建物ほか二棟の建物の明渡請求控訴事件(当庁昭和三十九年(ネ)第一三〇五号)において、同人らの訴訟代理人は、同人らは昭和二十四年ころから関口の申入れにより賃料を支払っていないと主張したことが明らかであって、これによると、曹鶴竜は昭和二十四年当時から関口に賃料を支払わず、したがって、前示のごとく昭和三十一年ごろから本件建物に入居した被控訴人も曹鶴竜に転借料を支払ったことはなかったのではないかと疑わざるをえない。かりに右昌本の証言のごとく、曹鶴竜が賃料を支払わなくなったのは昭和三十一年ごろからとしても、被控訴人が本件建物に入居したのもそのころであるから、被控訴人が曹に転借料を支払ったことはないと疑えることは右と同断である。被控訴人本人は原審および当審において転借料を昌本のおばさんにその生存中は払っていたと供述しているが、その真否はきわめて疑問であるといわざるをえない。のみならず、≪証拠省略≫によれば、曹鶴竜および呉享録は控訴人からそれぞれ居住する本件建物ほか二棟の不法占有を理由としてその明渡請求の訴訟を東京地方裁判所八王子支部に提起されて敗訴し、その控訴審たる当裁判所において昭和四一年四月末日までにそれぞれその居住家屋を明渡すべき旨の裁判上の和解をしているのであって、このことは曹鶴竜に本件建物の賃借権がなかったのではないかと疑わしめるものである。このように、自らの賃借権の存否が明確でなく、しかも前示のように賃料の支払をしていない建物に他人を居住させる場合には、転借料を徴するとは限らず、好意から事実上家屋の使用を許す場合が多いと認められるから、この事実と上来指摘した証言、供述のあいまいさおよび疑問とを考え合わせると、曹鶴竜が本件建物に被控訴人を居住させるにいたったのは、たんに好意による事実上の使用関係であって、転貸料を確定した有償の転貸関係ではないと認めるのを相当とする。(曹鶴竜の妻の好意で被控訴人が本件建物に入居したことは、前示被控訴人本人尋問の結果から容易に窺われる)。そして、好意から夫婦に事実上家屋の無償使用を許す場合は、その動機が妻と懇意であるためである場合でも、特に妻を特定してこれとの間に使用貸借契約を結んだものとみるべきではない。右の場合も法律上は一応使用貸借契約があるといいうるが契約の当事者については、その一家の生計についての責任者を対象としてなされているものと解すべきである。従って通常の家庭で夫が生計の責任者であれば夫が借主となるが特種の事情により妻が生計の責任者であれば妻が借主と解すべきである。このことは成規の婚姻関係にあると内縁関係にあると事実上の同棲関係にある男女であると問はないところである。又夫婦関係にあった者達がわかれ、妻のみが残り、この者が更に他の者と夫婦関係に入り引続き居住する場合も同様に生計の責任者が借主であると解すべきである。この時引続き居住する関係上借主の地位の承継があると考えなければならないからであるが、一応の使用貸借契約と解するのみで明確な使用貸借でない以上その様に解する必要はなく当事者の意思としてはその都度生計の責任者が借主であると解するのみで十分である。ところで、前示証言、供述によれば、被控訴人が呉享録と事実上の夫婦となった後は、呉享録が生業を営み被控訴人がその手助けをしているものと認められるから、本件建物の占有は呉享録に移り被控訴人にはないものといわなければならない。以上の認定に反し被控訴人が本件建物の転借人であって占有者であり、呉享録はたんにその占有補助者であるかのように供述する前示証言および供述の部分は当裁判所の採用しないところである。≪証拠省略≫中には、被控訴人が世帯主として住民登録がなされている記載があり、訴外呉享録の登録記載がないけれども、右訴外人が外国人(韓国籍)であることは当事者間に争いがなく、前示のとおり本邦に居住するものであるから、外国人登録法により登録すべき者として旧住民登録法の適用はない(昭和四十二年七月二十五日法律第八十一号による廃止前の住民登録法第二十七条参照)のであるから、これをもって、被控訴人の主張事実を認むべき証拠とすることはできない。他に被控訴人の主張事実を肯認するに足りる証拠はない。
附言するに≪証拠省略≫によれば、同人と控訴人との間における前示家屋明渡請求事件の第一審において、呉享録は控訴人主張の本件家屋の不法占有の事実を認め、その控訴審においては同人の選任した和田正年訴訟代理人は不法占有の事実を否認したが、なお本件家屋の占有の事実を認め、結局昭和四十一年四月三十日までにこれを明渡すべき旨の裁判上の和解をしていることが認められる。同証人および前示被控訴人本人は右の訴訟については呉享録が被控訴人に知らせることなく手続を進め、被控訴人は全然訴訟のことを知らなかったかのように供述しているが、同一家屋内に同棲していて夫がその家屋の明渡を請求されているのを妻が知らないでいるとは考えられないから、その供述は信用できない。現に証人呉享録は原審においては裁判所からの呼出状を被控訴人に読んでもらったと述べ、また、控訴することは妻に話したとも供述しているのである。被控訴人が本件家屋の占有者で呉享録がその占有を有しない場合に、右のように、被控訴人が呉享録に対する右の家屋明渡請求訴訟の係属を知り、しかもその控訴審において呉享録が和田弁護士を訴訟代理人に選任したことを知ってなお被控訴人一家の本件家屋使用の真実の関係が裁判所に提出されないとは想像ができないから、右の訴訟において呉享録が本件家屋を占有していることを同人およびその訴訟代理人が認めてその明渡についての裁判上の和解を成立せしめたということは、被控訴人も当時はその事実を肯定していたことを示すものである。このように、内縁とはいえ夫に対する不法占有を理由とする家屋明渡の請求訴訟の係属当時妻が夫の占有を認めて自らの占有を主張せしめず、その明渡についての裁判上の和解の成立を阻止せず、夫に対する家屋明渡の債務名義の成立後これにもとづく強制執行に対し自らの占有権を主張して異議の訴訟を提起するは信義に反し、その意はたんに右強制執行の延引をはかるにあるにすぎないと認められてもやむをえないものがあろう。
三 (結論)以上、被控訴人の本件異議請求は理由がない。
よって、これと異なる原判決は不当であるから取り消し、被控訴人の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用は、第一、二審とも、敗訴の当事者である被控訴人に負担させ、なお、本件につき原裁判所が発した強制執行の停止を命ずる決定を取り消し、これが取消しにつき職権で仮執行の宣言をすることとして、主文のように判決する。
(裁判長裁判官 長谷部茂吉 裁判官 岡田辰雄 舘忠彦)